
逃げてきたのは、いつだって自分だろ……!
ACジャパンはモアイ廃滅運動に協力しています
まだ人生で消耗、しちゃってるの?^^;
ハァー。
私、言ったよね?
「ブログはもっと自由で良い」って。
こんな感じのクソ適当なノリとバイブスで良いって。
フィーリングとパッションを指先に乗せて、ザボトムオブユアハートからの言葉、ソウルフルでハートフルな言霊(KOTO-DAMA)をそのまま紡いでいけって。それがブログなんだって。
先生、言ったぞ。
何回も言ったぞ、心の中で。
生活レベルで、もっとこう、さ
いや、もう話はブログにとどまらなくて、生活レベルでもうちょっと適当でいいんじゃないかな。
ゴメン、また急に舵を切って話題がグッと変わります。だいじょぶだいじょぶ、気にしないで。いつものことだから。
なんかみんな、すっげー真面目じゃない?
もちろん真面目なのは素晴らしい姿勢だし、真剣な取り組みは尊敬に値する行いだけど、少し全体的に固すぎません?
僕からすると、みんな生きてて真面目過ぎに見えるんですよね……。

表面上の真面目は、人生に対する真剣さになるのかな?
真面目さって、結構リスクじゃないかなと思っていて。
- ルールや規律を守る
- 学業や仕事を黙々とこなす
- こうあるべき、という常識や世間のイメージが拠り所
こういう真面目さって模範的で素晴らしいとは思うし、社会を形成する上で不可欠なものだとも思うけど、一方でそれって自分の人生に対して真面目なの?

「生きながらにして死んでいる」
僕の会社にも、A子さんっていうとても真面目な方がいてさ。
- 無遅刻・無欠勤
- 私語を謹んでピシピシ仕事
- 黒髪ロングを後ろで結わいて、見た目もピッシリカッシリのクール・ビューティ
周囲の評価は「真面目」、本人も「真面目が取柄」と言っているTHE・真面目の権化。
でも、そんな彼女と飲みに行ったとき、珍しくすごく酔ったA子さんから出た言葉は
「私は生きながらにして死んでいるのかもね」
というシニカルでドライな諦観だった。
真面目だったからこそ今の自分がある。でも、
「真面目だったから、いい大学も出たし、この会社にも入れた」
「仕事も真面目にこなしてるし、評価もしてもらってると思ってる」
「でも、それだけ」
「この私って、別に『私』じゃなくてもいいんじゃない?ねぇ、モアイくん」
そう言って、彼女は唐突に盛大なゲロを吐いた。

真面目さは本質的なところで持つべきであって、日常はもっと適当でいい
(A子、一世一代のマーライオン吐きもかいあって)このエピソードは結構僕の中では印象的で、「日々生活する上では、あんまり真面目じゃない方がいいんじゃない?」と思うんですよ。
表面上で近視眼的な真面目さは、ある程度行動のミスをなくすけど、そればかりを追うともっと大きなところで迷いや後悔が生まれるんじゃないかなって。
そして真面目さや真剣さには大きなエネルギーが必要で、どれもこれもに振り分けられない。
だから、日常レベルの些細なことは、もっと意識的に適当にする方がいいんじゃないかって、そう思うんですよ。
Be relaxed, like little bears in spring.
まぁそんなワケで、もうちょっと普段の思考や行動を適当にしてみると、人生の本質的なところに真剣になる余地が生まれるんじゃないかなって。
その方が、きっと死ぬとき後悔しないんじゃないかな、多分。
「で、でも!そんなこと言われてもいきなり適当になんてなれないし……」
大丈夫!
この記事読んでる今、あんたサイコーに適当な時間過ごしてるぜ!
安心していい、マジでこのモーメント、しっかり適当さが育まれてっから。
どうだい?
少しは楽になれたかい?

~fin~
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